けものフレンズが見せてくれた優しい世界とは?僕にとっては魔法だった

生き方・価値観

 

2017年に放送され、大きな話題となったアニメ『けものフレンズ』。

放送初期は大して注目もされていなかったが、結果的に子供から大人まで広く認知されるほどの人気作となったアニメの1つだ。

 

今ではあまり聞かなくなってしまったが、一時期は「すっごーい!」や「キミは〇〇が得意なフレンズなんだね!」という、いわゆるフレンズ語と呼ばれる言葉が流行っていたのも記憶に新しい。

 

 

では、突然で申し訳ないが、ここで1点だけお聞きしたい。

 

けものフレンズがここまで人気になった理由…というのはご存知であろうか?

 

もちろん、今作を担当された、たつき監督の功労であったり、原作を生み出した吉崎観音先生が表現したかった思いであったりと、制作に携わったすべての人が頑張って作ったからこそのヒットであったことは前提として、その他の要因について考えてみたいのである。

 

 

ここでようやく表題の「優しい世界」について触れていきたいのだが、アニメを見ていないとわからない部分が多少出てきてしまうことに関しては、予めお許し頂きたい。

 

…あとは、元々の語彙力がチンパンジー並に低いので、ここからはフランクに書かせていただくが、どうか暖かく見守っていてほしい。

 

 

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けものフレンズが見せてくれた優しい世界とは?

 

けものフレンズを全く知らない、もしくは1話の前半5分で見るのをやめてしまった人のために内容を簡単に説明しておくと、以下のようになる。

 

この世界のどこかにつくられた超巨大総合動物園「ジャパリパーク」。

そこでは神秘の物質「サンドスター」の力で、動物たちが次々とヒトの姿をした「アニマルガール」へと変身――!

訪れた人々と賑やかに楽しむようになりました。

 

しかし、時は流れ……。

 

ある日、パークに困った様子の迷子の姿が。

帰路を目指すための旅路が始まるかと思いきや、アニマルガールたちも加わって、大冒険になっちゃった!?

 

引用:けものフレンズ テレビ東京アニメ公式HPより

 

上記の内容をもっと簡単にまとめると、

 

自分が誰なのかも分からない迷子の女の子が「主人公」、かばんちゃん。

元々は動物だけど「サンドスター」の影響でヒトの女の子の姿になっているのが「アニマルガール」。

 

目的は主人公が【自分は何者で、元は何の動物なのか】を見つけるための旅に出て、色々なアニマルガールたちと巡り合っていくストーリーとなっています。

 

これをただ何となく見ようとすると「幼児向けの教育番組」にしか思えないのですが、ちょっと我慢して見続けていることで、3つの「優しい世界」に気づくことができるのです。

 

それはどういうものなのか…、紹介させていただきたいと思います。

 

 

優しい世界1:相手を否定しない

 

それは絶対にありえない。異常だよ。

意味がわからないし、理解もできない。無理。

 

皆さんは今まで、このような言葉を言われたことはございませんでしょうか?

ちなみにですが、僕はあります。

 

もちろん、「自分の思ったことをしっかり相手に伝える」という点で考えれば、1つの意見として否定することはとても大切ですし必要なことです。

 

理解はしていますが、それでも「自分自身のこと」や「意見・考え方」を否定されてしまうと悲しいですよね。

 

例えばですが…、

 

全然ダメ。

使えない。

役に立たない。

居なくていいよ。

…などの言葉とか。

 

まぁ、…どれも僕が新社会人になったときに、上司からおまじないのように言われていた言葉なのですが(笑)

自分でも「まぁ、確かに。」と、うなずいてしまうぐらいの自覚はあったので、わかりみは深かったのですね。

その話は一旦置いといて。

 

対して、けものフレンズの世界ではどうなのかというと、相手を否定することは決してしないのです。

 

言うなれば、完全肯定の世界

短所よりも長所に目を向け、すべてを受け入れてくれるような懐の深さがあるのです。

 

主人公が最初に出会うアニマルガールの「サーバルちゃん」は、失敗を繰り返して弱気になってしまう主人公にこう言うのです。

 

「へーきへーき、フレンズによって得意なことは違うから!」

 

 

そして、しばらく行動を共にしていると、長所を見つけて励ましてくれるのです。

 

「わたし、あなたの強いところ、だんだん分かってきたよ!」

「きっと素敵な動物だよ!」

…と。

 

弱点について言及するのではなく、得意なところ・優れているところを見つけて褒めてあげる。

アニメの中では単なるワンシーンとしてさらっと流していましたが、現実的に考えたら、そう簡単にできることではないですよね。

 

十人十色という言葉もあるように、同じヒトであったとしても得意なこと・苦手なことは違ってきますし、一般的に良いところよりも悪いところのほうが目に付きやすいからです。

 

 

けものフレンズは現代社会では中々体験できない「優しい世界」を味わうことができるのです。

 

 

優しい世界2:仲間はずれがない

 

悲しいことですが、現実において「仲間はずれ」は必ず存在します。

 

それは自分の中で【好きな人間】と【嫌いな人間】をハッキリ分けられるのと同じで、どんなに頑張っても無くせない問題なのかもしれません。

 

しかし、仮にしょうがないと理解はしていても、いざ自分が「仲間はずれ」にあってしまったらどうでしょうか…?

特に理由もなく、ある日突然に、です。

 

そうなってしまえば、誰だってとてつもない、耐え難い悲しみに襲われますよね。

 

当事者にとっては思い返したくもないほどの辛い経験となる「仲間はずれ」。

運よく経験しなかった人でも、横目に見て、見ないフリをしてやり過ごしてきた人はたくさんいらっしゃるのではないでしょうか…?

(辛いご経験を思い出させてしまったら、本当にごめんなさい。)

 

 

ですが、けものフレンズの世界では、この「仲間はずれ」の概念がありません。

 

本来の動物社会でみられる弱肉強食の関係でさえも、共通の食べ物「ジャパリまん」が存在することで、肉食・草食動物関係なく伸び伸び暮らしているのです。

(なお、第6話「へいげん」にて縄張り争いしていた際も、双方に明らかな敵意は無く、結果的に草食側の大将であるヘラジカの「ライオンと一度でいいから一騎打ちで戦ってみたい」という思いによって、戦っていたという感じでした。)

 

 

加えて、元々の動物としての種族も違うなか、どのフレンズ(=アニマルガール)も初めて出会う主人公たちに対して、分け隔たり無く受け入れてくれるのです。

これも普通でしたら中々考えづらいですよね。

 

全く知らない人が自分たちのグループに入ってきたとしたら、ある一定の距離を取りたいと思うのが性ではないでしょうか?

 

 

そう考えると「仲間はずれが存在しない世界」は、やはり「優しい世界」に当てはまると思うのです

 

 

ちなみに補足になりますが、アニメのOP曲の歌詞中に「けものはいても、のけものはいない」という言葉が出てくるところでも、「優しい世界」を体現しているのが分かります。

 

 

優しい世界3: 助け合いの大切さを教えてくれた

 

頭では分かっていても、実行に移すとなるとなかなか難しいのが「助け合い」ですよね。

 

僕たちは大人になるまでの間にたくさんの事を経験してきますから、自然とその「経験」に基づいて一度考えてから行動に移すのが一般的です。

 

簡単な例を挙げるのであれば、満員電車で席を譲るときなどが想像しやすいかもしれません。

 

純粋な厚意で席を譲ろうとしたら、感謝されるどころか逆に怒らせてしまった…なんてことはありませんでしょうか?

もしくは、誰かのためを思ってやったことが裏目にでてしまったこと…とかですね。

 

 

これらを一度でも経験してしまうと、たとえ良いとされていることだったとしても「これはやってあげたほうが良いのかな?」「逆に迷惑じゃないかな?」などと考えてしまうものです。

 

そのうち、「他人のために何で自分がここまで考えなくちゃいけないんだ」になって、結局は「もう、知らね」になってしまうことも多々あります。(私に限った話かもしれませんが。)

 

 

では、けものフレンズの世界ではどうでしょうか?

全12話のうち、「助け合い」が無かった回は一度もありませんでした。

 

ピンチのときは咄嗟に行動に移し、

悩んだときは相談して、提案をして、協力し合う。

 

各々が得意な分野でチカラを発揮し、

一緒になって問題を解決する。

 

そして最後は、お互いに得意な分野を褒め合う。

すっごーい!」「助かったよー!」「ありがとう!

 

その一連の流れを説明するかのように、11話ではこのような言葉が出てきます。

困難は群れで分け合え」…と。

 

 

言葉で表現する分には簡単かもしれませんが、これを実行に移すのはとっても難しいのです。

だからこそ、どこか惹かれるものがあるのかもしれませんね。

 

お互いに助け合える優しい世界にです。

 

 

けものフレンズは僕にとって魔法そのものだった。

 

魔法というのをシンデレラに代表する「いつかは切れる不思議なチカラ」と定義するのであれば、けものフレンズは魔法そのものだったのかもしれません。

 

一連の騒動が起きるまでは、公式も、たつき監督も、吉崎観音先生も、ファンも、みんなが「わーい!たーのしー!!」状態で、今まで味わったことのない素敵な魔法にかかっていたののだと思います。

 

しかし、それは「けものフレンズ」の2期が決定するのと同時に、功労者の1人であるたつき監督が制作陣から外されたことで一気に魔法は解けました。

 

製作委員会の1つとして携わるKADOKAWAのHPは閲覧しづらくなり、当該Wikipediaの説明やSNSは荒れ、「たつき監督やめないで!」と題された署名には一晩で2万人を超える署名が集まり、たつき監督のSNSには日本だけではなく、中国、韓国、アメリカなどからも応援メッセージが多数届くなど、国境を超えた問題にも発展したのです。

 

その規模感たるや、TwitterのRT数が2時間で20万以上という意味のわからない数字を記録したことを考えていただければ、何となく理解していただけるかと思います。

 

ほんわかしていた世界は一変、疑問や怒りを関係各所にぶつける人もいれば、混乱に乗じて明らかなヘイト活動を行っていた人(ごく一部の人達だと思いますが)もいたわけで、個人的にも「あぁ…これが現実かぁ…」と思い知らされた瞬間でもありました。

 

アニメでいくら「のけ者はいない」と謳っていたとしても、

現実はそうじゃないと。

 

この騒動は後に「9.25けもフレ事件」と呼ばれるようになりましたが、結局のところ、この真相はわからないまま1年が過ぎようとしているのです。

 

 

1人のファンとして、大好きだった作品が有耶無耶な状態で幕引きが図られ、続報も望めないというのはあまりにも悲しく思います。

(かと言って、個人がどうこうできる問題でもないのですが…。)

 

ただ、約3ヶ月という短い期間だったとしても、けものフレンズを通して「優しい世界」を見せてくれたのは事実。

 

いつかまた、「誰に対しても優しくなれる不思議な魔法」にかけてもらえることだけを願って。

今日1日をなんとか生き延びているのです。

 

大きな希望とか夢とか、そういった大それたことは望まないから、

せめて優しい世界だけをみていられるような環境がほしいと思うばかりである。

 

 

 

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